秋も少しずつ深まり、旬の味覚が市場に出回る季節です。今回は食卓を彩る名脇役のお漬物、しば漬けのお話。京都のしば漬けは、パリポリとした食感ではないことをご存じですか。京都がしば漬けの産地となった理由は?京都みやげの定番としても知られるしば漬けの魅力に迫ります。
CAP:京漬物(出典:農林水産省「にっぽん伝統食図鑑」)https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/traditional-foods/menu/kyo_tukemono.html
しば漬けは、すぐき漬け、千枚漬けとともに「京都三大漬物」として親しまれています。一般的なしば漬けは、キュウリやミョウガなどの野菜を調味液に漬け込んで作られますが、京都の伝統的なしば漬けは、主にナスを赤紫蘇(あかしそ)とともに塩漬けにします。そのため、一般的なしば漬けとは異なり、独特の酸味と熟成された風味が楽しめます。初めて京都のしば漬けを食べた人は「本当にこれがしば漬けなの!?」と驚くかもしれません。
京都の伝統的なしば漬けは、塩でもんだ野菜の水分を絞り、樽に漬け込んだ後、重量が均等にかかるように重石をのせて乳酸発酵を行います。乳酸発酵とは、野菜や空気中の微生物が糖類を分解し、主に乳酸を生成する発酵のこと。この過程によって味に深みが増し、漬物としての保存性を高めることができるのです。
京都のしば漬けは、暑い夏の間に乳酸発酵をさせ、晩夏から初秋にかけて「新漬け」として販売されます。赤紫蘇の香りが残り、さっぱりとした味わいと爽やかな酸味が特徴です。
しば漬けは、もともと山間部にある大原の郷土食でした。現在も大原には、たくさんのしば漬け店が軒を連ねており、伝統の味を求めて遠方から足を運ぶ人も多くいます。
CAP:長谷川久蔵筆『大原御幸図屏風』(東京国立博物館蔵) 出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp)
大原でしば漬けが誕生したのは平安時代末期のことで、三千院の僧侶である聖応大師が発案したと伝えられています。また、しば漬けの名前の由来は『平家物語』に登場する高倉天皇の皇后、建礼門院徳子といわれています。
源平の争いで都を追われた建礼門院は、壇ノ浦で安徳天皇と共に入水しましたが、源氏の武士によって生け捕られました。彼女は、大原の寂光院で尼となり、平家一門の霊を弔いながら静かに暮らしていました。そんな寂しい日々を過ごす彼女を慰めようと、地元の人々が用意したのが紫蘇を使った漬物でした。その美味しさに大変喜んだ彼女は、鮮やかな紫色をした漬物を「柴葉漬け」と名付けたそうです。
建礼門院ゆかりの寂光院では、毎年しば漬けの初ものが出荷される時期に「しば漬け法要」が開かれ、地域の繁栄、安全、健康を願って、今年できたばかりの新漬けが献上されています。それにしても、なぜ大原でしば漬けが誕生したのでしょうか。それにはある植物が深く関わっています。
大原といえば、三千院や寂光院などの歴史的名所が点在する京都有数の観光スポットですが、地元では「大原野菜」の産地として知られています。なかでも甘みがギュッと凝縮された根菜類は高く評価されており、近年では、この大原野菜に惚れ込んだ料理人が、この地に店を構えるケースが増えています。
CAP:大原の赤紫蘇畑(出典:京都フリー写真素材・無料素材https://photo53.com/)
そんな大原で代々栽培されているのが、しば漬けに欠かせない赤紫蘇です。紫蘇は「蘇葉(そよう)」とも呼ばれ、その昔、中国でカニを食べて食中毒を起こした人に紫蘇を煎じて飲ませたところ、元気を取り戻したことから「蘇る紫の葉=紫蘇」と名付けられたそうです。
紫蘇の種子は縄文時代の遺跡から発見されましたが、大原の赤紫蘇は遣唐使によって大陸から伝えられ、主に薬用として栽培されてきました。山々に囲まれた盆地の大原は、夏でも朝霧が立ち込めるほど昼夜の寒暖差が大きく、赤紫蘇の生育に適した環境です。これまで800回以上にわたって、種を採りながら栽培が続けられてきました。他所から花粉が飛来しにくい土地柄のため、自然交配があまり起こらず、現在も原品種に近い赤紫蘇が栽培されているそうです。
赤紫蘇(イメージ)
この原品種に近い赤紫蘇は、地元の人々によって長年受け継がれてきただけでなく、優れた品質と独自の特性を持っています。紫蘇特有の香気成分である「ペリルアルデヒド」が一般的な赤紫蘇と比べて多く含まれているため、より爽やかな香りを楽しむことができるのです。
さらに、ナスの紺色と赤紫蘇の色素が乳酸発酵によって酸性化すると、アントシアン反応が起こり、自然な赤色が生まれることで、しば漬けの鮮やかな色合いが引き立ちます。また、ペリルアルデヒドには殺菌効果があるため、より保存性が高まり、長く味わうことができます。
大原のしば漬けに欠かせない赤紫蘇。現地の漬物メーカーの多くは、自社農園で大切に栽培した赤紫蘇でしば漬けを作り、来年に向けて種を保存します。こうして800回以上も繰り返された営みがあるからこそ、私たちは大原のしば漬けを口にできるのです。このようなサステナブルな食品は、伝統のまち・京都でも稀少ではないでしょうか。
大原では、赤紫蘇が収穫期を迎える7月になると、赤紫蘇にまつわる催しが開催されます。たとえば、しば漬け作り体験や即売会などが開かれ、多くの人でにぎわいます。
こうして収穫された赤紫蘇とナス、塩を木樽に漬け込むことひと夏。9月中旬頃から発酵が安定期に入ると、新漬けが出荷されます。この新漬けは、まだ発酵が進みきっていないため、酸味がまろやかで、古漬けが苦手な人や初心者にもおすすめです。
しば漬けの「旬」は、乳酸発酵が安定する10月~翌2月の期間。酸味が程よく効いた嗜好性の高い味わいが楽しめます。春を迎え、大原の気温が徐々に上がると、熟成がさらに進み、4~6月には最も熟成された風味になります。通好みの奥深い味わいなので、生姜をたっぷり入れていただくのも良さそうですね。
一般的なしば漬けとはひと味違った京都の伝統的なしば漬け。できれば大原で買い求めてほしいところですが、市内でも購入可能です。秋の夜長に、ぜひお酒と一緒に召し上がってみてはいかがでしょうか。
【参考文献】
小川敏男 『漬物と日本人』 1996 NHK出版
小川敏男 『漬けもの博物誌』2010 八坂書房
日本伝統食品研究会 『日本の伝統食品事典』2007 朝倉書店