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京都“ロングセラー”グルメの旅⑬ 都人が首を長くして待つ。「鯖」が育んだ京都の食文化の話

津曲 克彦

ライター

京都“ロングセラー”グルメの旅⑬ 都人が首を長くして待つ。「鯖」が育んだ京都の食文化の話

津曲 克彦

ライター

以前ご紹介した鱧と同様に、京都人に愛されている魚が「鯖」です。海から遠く離れた京の都で、海から運ばれてきた魚が名物として根付いたのは興味深いこと。しかも鯖は、誕生日や祝い事、祭の日のごちそうとして、今も京都の人々の暮らしの中に息づいています。なぜ、海から遠い京都で、鯖がこれほどまでに愛されるようになったのでしょうか。その答えは、若狭から京都へと続く一本の道に隠されています。

若狭から京都へ──塩鯖がちょうど熟れる距離

若狭湾で水揚げされた鯖に、ひと塩をする。そして、それを背負って京都まで運ぶ。距離にしておよそ72キロ、当時の単位で十八里。一昼夜かけて京都へ着く頃には、鯖はほどよく熟れ、絶妙な塩加減になっていました。

小浜には今も「京は遠ても十八里」という言葉が伝わっています。京都まで遠いとはいえ、せいぜい十八里(約70キロ)。そう言いながら、若狭の人々は急峻な峠を越えて京都を目指したといいます。

この道を、私たちは「鯖街道」と呼んでいます。慶長12年(1607年)に小浜藩主・京極高次が整備した小浜市場の記録『市場仲買文書』には、「生鯖塩して担い京行き仕る」という記述が残されています。この言葉が、「鯖街道」という名称の由来になったとされています。

夕陽が美しい若狭湾(撮影:津曲克彦)

ただし、若狭と都の関係は、鯖街道が整備されるよりもはるか昔にさかのぼります。若狭は古代から「御食国(みけつくに)」と呼ばれ、淡路、志摩とともに朝廷の食を支えた国のひとつでした。

若狭から都へ届けられたのは、塩や海産物だけではありません。魚を米飯とともに漬け込み発酵させた「なれずし」なども運ばれていました。平城京跡から出土した木簡には、若狭から都へ献上された食材の記録が残されています。

そう考えると、鯖街道は単なる物流の道ではありません。千年以上にわたって若狭が都の食を支え続けてきた歴史のなかで生まれた、最も新しい章だったのです。

「鯖街道」はひとつの道ではなかった

鯖街道と聞くと、一本の道を思い浮かべる方が多いかもしれません。しかし実際には、若狭と京都を結ぶ道はひとつではありませんでした。

なかでも最もよく利用されたのが、小浜から熊川宿、朽木を経て、大原から京都・出町へ至る「若狭街道」です。そのほかにも、最短距離で峠を越える「針畑越え」、琵琶湖の西岸をたどる「西近江路」、堀越峠を越えて京都・高雄へ至る「周山街道」など、さまざまなルートが存在しました。

それぞれの道には固有の名前があり、異なる地形があり、そして行き交う人々の暮らしや物語がありました。

いくつもルートがある鯖街道(作成:津曲克彦、参考:https://sabakaido.jp/about/)

これらの道が、現在のように「鯖街道」という一つの総称で広く認識されるようになったのは、比較的新しいことです。2015年には、文化庁が「海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群~御食国若狭と鯖街道~」を日本遺産の第1弾認定の一つに選定しました。さらに2024年には、全国で唯一となる「日本遺産プレミアム」にも認定されています。

かつてはそれぞれ独自の役割を持っていた複数の道が、今では「鯖街道」という一つの物語のもとに結び付けられています。私たちが知る鯖街道は、千年を超える歴史を受け継ぎながら、現代の視点によって新たな意味を与えられた道でもあるのです。

京都人が鯖を「待つ」とき──祭の日の鯖寿司

出典:農林水産省ウェブサイト(https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/sabazushi_kyoto.html)

京都を歩いていると、鯖寿司は不思議な現れ方をします。日常的に毎日食べるものというより、ある日突然、暮らしの中に立ち上がってくる、といえばいいでしょうか。祇園祭の宵山、葵祭の前後、地蔵盆、秋祭り。誰かの家に呼ばれて行くと、笹の葉に包まれた一本が出てくる。商店街に並ぶ。誰かが持ってくる。

京都の人は、鯖寿司を「待つ」のだと思います。

考えてみると、鯖寿司という食べ物は、もともと「待つ」ことの上に成り立っていました。若狭で塩を打たれた鯖が、街道を運ばれる間にちょうど食べ頃になる。熟成の時間を待たないと、鯖寿司にはならない。そして京都の人は、その鯖寿司を、年に何度か巡ってくる祭の日に向けて待つ。鯖が熟れるのを待ち、祭の日を待つ。二重の「待つ」が、千年にわたって京都の食卓に刻まれてきました。

「鯖街道」の終点とされる出町には、いまも鯖寿司を商う店が並びます。商店街の入口には「鯖街道口」と刻まれた石碑が立ち、若狭から鯖を担いできた人々の終着点であったことを今に伝えています。

若狭で鯖が獲れなくなった日

ところが、その若狭で、今は鯖がほとんど獲れなくなっています。

かつて鯖の一大産地として知られた小浜では、近年、鯖の水揚げがほとんどない状態が続いています。日本海一帯のマサバ資源は、1970年代と比べて大きく減少しました。鯖街道の起点で、鯖が獲れないのです。

それでも京都の人々は、祭の日に鯖寿司を待ち、食べ続けています。

そして若狭では、消えた鯖を呼び戻そうとする取り組みも始まっています。2016年には、小浜市と福井県立大学などが連携して「鯖、復活」プロジェクトを立ち上げました。京都の酒蔵から取り寄せた酒粕を餌に混ぜて育てる養殖鯖「小浜よっぱらいサバ」。鯖街道の起点と終点が、再び鯖を介して結ばれようとしているのです。

千年にわたって受け継がれてきた「待つ」という文化を、これから誰が、どこで、どのように支えていくのか。

その問いは今もなお、私たちの前に静かに置かれています。

出町から、北を見る

京阪出町柳駅から少し歩くと、桝形商店街の入口に「鯖街道口」の石碑があります。立ち止まって北を見上げると、比叡山の稜線の向こうに若狭があります。

千年前、誰かがあの山の向こうから塩をした鯖を担ぎ、この場所までやって来ました。そして今日もまた、誰かが祭の日を待ちながら、笹の葉に包まれた一本を求めて商店街を歩いています。

京都で鯖寿司を一本買い、北の方角を眺めてみる。それだけで、若狭と京都を結んだ千年の道筋が見えてくる気がします。

出町は、そんな時間の重なりに出合える場所です。