私たちが普段食べているお米や野菜は、もともとは野生の植物の姿をしていました。昔は、食べられる部分が少なかったり、美味しくなかったり、栽培するのが大変だったりで、生きていくための作物を育てるのも食べるのも大変でした。そこで人間は数千年という長い年月をかけ、「美味しい」「毒がない」「収穫量が多く望める」作物を作るために品種改良を行ってきました。
品種改良の方法は2つあります。ひとつは、「突然変異」により生まれた新規の形質(形態と性質を合わせた遺伝学の用語)を持つ植物を「選抜」する方法です。たとえば、キャベツやブロッコリーなどは、アブラナ科の野生種の突然変異体の中から、葉が重なって玉のようになり柔らかいもの、花茎が発達して食べやすいもの等、食べ物として適した形質を持つものを選んで作られました。もうひとつは、病気に強い、味が良い、収量が多いなどの優れた特性をもった親を選んで掛け合わせる「交配」です。「交配」により新しい品種を作るまでには、イネでは約10年、果物では数十年もかかります。
私は現在、龍谷大学に所属しておりますが、その前は国立研究開発法人 農業・食品産業技術総合研究機構(農研機構)の研究員として、植物の遺伝子組換え技術とゲノム編集技術の開発を長年行ってきました。これまで私たちが開発したゲノム編集のツールと手法は国内外で広く活用されています。
世界では、「遺伝子組換え」や「ゲノム編集」による品種改良が盛んに行われています。「遺伝子組換え」は、外来の遺伝子を植物に導入し、新たな形質を付与する技術です。例えば、微生物由来の遺伝子を植物に導入し、耐虫性や除草剤耐性の作物が開発されています。遺伝子組換え作物は、アメリカや南米でトウモロコシや大豆などが多く栽培されています。国内ではサントリーさんが開発した青いバラや青いカーネーションが良く知られていますね。
一方、「ゲノム編集」は、対象とする作物がもともと持っている遺伝子を、狙って改良する技術です。つまり、これまでの品種改良で行われてきた突然変異育種では、突然変異によって偶発的に(たまたま)望むべき形質を持つ植物が生まれますが、ゲノム編集では改変を行いたい遺伝子に、狙い定めて変異を導入することができます。
ところで、「ゲノム編集」とは、「ゲノム」を「編集」する技術ですが、「ゲノム」とは何でしょうか?
ゲノムは「生き物が生まれて成長し、次世代に子孫を残す」という生命活動を営むために必要な、最小限の「染色体1セット」のことです。ゲノムはお米や野菜のほか、人間や動物などすべての生物を構成する暗号文です。私が専門とするゲノム工学は、染色体に書かれている遺伝子を改変する技術を開発する学問分野です。
では、どのようにして「ゲノム編集」を行うのかをお話ししましょう。遺伝子には、塩基という4つの物質<A・T・C・G>が規則的に並んでいます。用意するのはタンパク質とRNA(細胞核の中にある酸性の物質の1種)からできているハサミで、細胞核内にあるゲノムDNA上の遺伝子に直接ハサミを入れて遺伝子情報を改変することができます。<A・T・C・G>の文字列の中にハサミを入れると、切った部分が自然に修復されます。ところが、修復ミスにより突然変異を起こすことがあります。そこで、目的にあった突然変異をおこしたものだけを選抜して利用します。ゲノム編集を行なったあとは、導入したハサミの遺伝子が不要になるため、交配などを利用してこれを除きます。
現在は技術が進み、より精度の高いハサミを作り、狙った場所にハサミを入れて、暗号文を設計通りに書き換えることもできるようになってきました。
日本や世界における、「ゲノム編集」作物の研究開発例を紹介しましょう。
世界で最も早く実用化されたのは、米国のミネソタ大学が開発した健康に良いオレイン酸を種子に多く含む大豆です。この大豆から搾った油はアメリカで人気があり、高級レストランでも使われています。
また、私たちはイネのゲノム編集により、コメ油のオレイン酸含量を8割に高めることに成功しました。お米は家畜の飼料としても利用されており、オレイン酸を多く含むお米は飼料米としても優れていると期待されています。
GABA(ギャバ)は抗ストレス作用があるといわれており、GABAを配合したチョコレートやサプリメントでもおなじみですが、筑波大学ではGABAを高蓄積するトマトを開発し販売されています。さらに、島根大学ではGABAを高蓄積するお米の開発が進んでいます。私たちが開発しているゲノム編集技術はこれらの研究をサポートしています。
また、フィリピンの国際稲研究所では、β-カロチンを蓄積するオレンジ色のお米(ゴールデンライス)が、遺伝子組換えによって開発されました。これは、ビタミンA不足に悩む人々にとって光明となるお米ですが、私たちの研究でゲノム編集によってもイネの細胞にβ-カロテンを蓄積できることが明らかになりました。近い将来非組換えのゴールデンライスも開発されるかもしれません。
さらに農研機構では、常温で長期間保存可能なトマトの開発も行われており、食品ロスを減らすことに貢献すると考えられます。
近年は世界人口の増加や異常気象による収穫不良などでの食糧不足が懸念されています。品種改良によりすべてを解決することは難しいかもしれませんが、ゲノム編集により品種改良のスピードが向上できるのではないかと、期待されます。
ゲノム編集技術を用いて複数の遺伝子を同時に改変することにより、例えば病気に強いが果実が小さい野生のトマトに、果実を大きくする、糖度を上げる等の栽培トマトに求められる性質を一度に導入する報告等も行われ、ゲノム編集を用いれば、複数の優良形質を短期間に導入できます。一方、これまでの品種改良でも、病気に強い性質を導入すると植物が病原菌に対する防御にエネルギーを使うため、生育が遅くなる等の、トレードオフの関係が見いだされてます。つまりゲノム編集によって、優れた形質を集積しても、期待通りの作物を作ることは、それ程容易ではありません。
それでも、ゲノム編集技術を用いれば、どのような形質を集積することが効果的か早くわかり、きめ細かな遺伝子の改変が可能になるため、ゲノム編集は生物の遺伝的な改良のスピードアップには欠かせない技術であると考えられています。
今後ゲノム編集の研究を進め、従来の品種改良技術と共に活用していくことにより、植物が潜在的に持つ生きる力を上手く引きだし、環境変化に対しても柔軟に対応可能で、かつもっと美味しく、栄養価が高く、健康機能性も付与した作物開発が行われるよう、日々、研究を進めています。多くの方々に、「ゲノム編集」への理解を深めていただけると幸いです。