私の研究の専門分野はイスラーム美術史です。ロンドン大学在学中から、研究調査のためエジプト、トルコ、モロッコといったイスラーム文化圏にしばしば足を運んでいます。あまり知られていませんが、コーヒーはイスラーム文化と深く関わりながら世界に伝播したもののひとつ。国際学部の講義ではイスラームとコーヒーの関わりについても教えています。
まずは、トルコのコーヒー文化についてお話ししましょう。トルコ人は食後や休憩時にはチャイを飲むことが多いのですが、コーヒーも嗜みます。
トルココーヒーは、ジェズヴェという器具に水と細かく挽いたコーヒーの粉を入れ火にかけ、沸かして作ります。砂糖が必要であれば、あらかじめジェズヴェに入れておきます。コーヒーは泡立ちがあるほど美味しいとされているため、ぶくぶくと泡立つようにゆっくり弱火で煮出します。ジェズヴェからカップに注ぐときは泡が壊れないように入れて完成させます。
カップにはコーヒーの粉がそのまま入っているので、粉が沈殿してから上澄みを飲むのがトルコ流。飲み終わったカップの底に溜まったコーヒーの粉では、トルコで古くから伝わる「コーヒー占い」をします。ソーサーにカップの中身をあけて、占い師がカップに残った粉の模様で運勢を占います。
トルココーヒーは通常のコーヒーカップの半分くらいの小さなカップで提供されます。カップで有名なのは、トルコのイズニク地方で作られる陶器「イズニク陶器」です。青色が美しく映える色使いと細密なアラベスク文様が特徴的な伝統工芸品で、トルコ土産としても人気です。
コーヒーの起源には諸説あります。原産地はエチオピアとされていますが、アラビア半島にも自生していたといわれています。
古い記録によると、イスラーム社会でコーヒーを飲むきっかけを作ったのは、15世紀のイエメンにあったイスラーム神秘主義「スーフィズム」教団の修道者たちです。修道者の修行の目的は、神との神秘的一体感を得ること。コーヒーは意識の覚醒を助け、疲れやだるさを取り去り体に活力を与えるという効果があるとされ、彼らは没我状態に入る修行のためにコーヒーを必要としていました。
修道者はメッカ(サウジアラビア)やカイロ(エジプト)の宿舎でもコーヒーを用いていましたが、しだいにコーヒーは教団のメンバーだけでなく、教団の関係者にも振る舞われ、モスク周辺の通りでも売られるようになりました。
修道者には商人も多く、彼らはコーヒー豆を交易商品として取り扱っていました。そして市場を独占するため、コーヒーの種子や苗木をアラビア半島から持ち出すことを長らく禁じていました。種子や苗木が流通するようになったのは1699年以降。その後はスリランカやインド、ジャワ島などでコーヒーが栽培されるようになりました。
16世紀の中東にはレストランがほとんどなく、その地域の人々にとって飲食の場は自宅のみでした。しかし都市部に「コーヒーハウス」が出現したことにより市民たちは「外出したい」という欲求を持ち始めます。そして男性たちを中心に、「コーヒーハウス」へ足を運び、仲間たちと話すという娯楽を楽しむようになりました。
敬虔なイスラーム教徒はお酒を飲みません。当時の「コーヒーハウス」は、いわばお酒が置かれていない居酒屋のような存在だったため宗教上の制限がなく、あらゆる階層の人々から支持されました。
やがてコーヒーは普及するにつれ、法律や学問、あるいは文学の上で非常に関心を呼ぶ話題となり、イスラーム世界ではしばしば大論争が起こりました。その理由は、コーヒーは肉体的、または科学的にその使用がイスラームの戒律に反する考えであり、異端的な革新だと信仰深い人たちから思われたためです。また、コーヒーハウスでは大麻やアヘンといった薬物が出回っており、コーヒーにアヘンを入れて飲む者もいました。賭博も流行しており、社会的なモラルに欠ける不健全な場だと、コーヒー反対派から見なされていました。
そもそもコーヒーハウスは社交場という位置づけでしたが、しだいに共通の趣味や意見を持つ人々が団結したり、政治に対する批判や不満を共有したりする場へと変化していったことも、論争が起きた一因でした。また、政治的結社や反乱グループが会合場所をコーヒーハウスにしたことで、コーヒーハウスは当局から警戒され弾圧を受けることもありました。トルコのイスタンブルではコーヒー賛成派が迫害されたり、カイロでは反対派と賛成派の両方が暴動を起こしコーヒーハウスが襲撃されたりといった事件が起こりました。
コーヒー反対派の理由の根本には、コーヒーを飲むことそのものに対する反発ではなく、コーヒーの飲用文化に対する漠然とした社会不安があったと考えられます。
トルココーヒーのお供は「ロクム」が定番。砂糖にデンプンとナッツ類を加えた、とても甘い伝統菓子です。
コーヒーの出現により人々のコーヒーへの意識が「歓待のシンボル」に変化しました。コーヒーハウスができる以前は、客人を自宅に招く際は最大のもてなしをするため、お金をかけて豪華な料理を用意していました。コーヒーが歓待のシンボルとして普及してからは、人々は自宅で客人をもてなす際、コーヒーを出すようになりました。現代のトルコでも、休憩時にさっと飲むのはチャイ、誰かとゆっくり話すときはコーヒー、と飲み物をシーンに合わせて変えている印象があります。
トルコ語でコーヒーハウスは「カフヴェハーネ」と言います。「カフヴェ」はコーヒー、「ハーネ」は館という意味です。イスラーム社会では、女性は家の外での行動が制限されているため、女性たちは誰かの自宅におやつを持ち寄り、おしゃべりを楽しみながらゆっくりとコーヒーを飲みます。コーヒー占いも女性たちの楽しみの一つ。そのため長らくは、カフヴェハーネを訪れるのは男性だけでしたが、近年は女性だけのグループも見かけるようになりました。
私自身はトルコに滞在するときは、朝食後やレストランでの食事後などにコーヒーを楽しんでいます。読者のみなさんの生活の中でも身近なコーヒーが、実はイスラーム世界と関わってきたという歴史や文化を知ってもらえたらと思います。