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7月10日は「納豆の日」。納豆が全国に普及したのはGHQのおかげだった!

Moglab編集部

Moglab編集部 取材スタッフ

7月10日は「納豆の日」。納豆が全国に普及したのはGHQのおかげだった!

Moglab編集部

Moglab編集部 取材スタッフ

7月10日は「納豆の日」。1981年、関西納豆工業協同組合が、関西での納豆の消費量を上げるために「納豆の日」を制定しました。もともとは関西地方限定の記念日でしたが、1992年、全国納豆工業協同組合連合会があらためて同日を納豆の日としたことで、全国的な記念日へと発展しました。

2022年には、納豆の名産地として知られる茨城県水戸市も7月10日を「納豆の日」と条例で定めました。総務省による、全国の県庁所在地と政令指定都市を対象とした世帯当たりの納豆購入額の調査で、水戸市は2017年より首位を逃し続けていることを受け、納豆の購入額を上げることを狙って記念日が設けられました。

ちなみに、2021年の調査では1世帯あたりの年間納豆購入額の順位は1位が福島市で6,157円、2位が山形市で6,111円、3位が水戸市で6,041円、全国平均は4,037円でした。
2023年は、1位は盛岡市で6,810円、2位は秋田市で6,539円、3位は水戸市で6,450円、全国平均が4,368円です。
水戸市は首位を奪還できませんでしたが、過去の調査結果を見ると、水戸市を含め全国的に購入金額は上がっているようです。

日本にも世界にもさまざまな納豆がある

納豆は大きく分けると、糸引き納豆、寺納豆、甘納豆の3つがあります。糸引き納豆は私たちがいつも食べている、納豆菌で発酵させた粘りのあるもので、丸大豆の納豆と、皮をむいて砕いたひきわり納豆の2種類があります。寺納豆は塩辛納豆のことで、蒸した大豆と麹を塩水に漬け込んで熟成させ、その後に乾燥させて作る黒褐色の納豆です。寺院で作られていたため寺納豆と呼ばれ、大徳寺納豆や浜納豆が有名で、真っ黒い見た目が特徴です。甘納豆は小豆などの豆を蜜漬けにして作られるお菓子です。「甘納豆」と呼ばれる由来は、甘納豆が生まれた当時の江戸で浜納豆が流通しており、その名称をもじって「甘名納糖(あまななっとう)」と命名された後、さらに訛って「甘納豆」になったと言われています。

インドネシアの納豆「テンペ」

また、中国には、日本の寺納豆に近い「豆(タチオ)」があり、塩気がきいていて乾いたものから湿ったものまでさまざまな種類があります。ネパールでは干し納豆「キネマ」、インドには糸引き納豆に近い「バーリュ」、インドネシアには大豆を発酵させブロック状にした「テンペ」があります。

納豆の起源は煮豆をワラに包んで放置したことだった?

納豆の起源には諸説あり主に3つの説が有名です。
1つめは弥生時代に、床に敷いたワラに煮豆が落ちて自然発酵して納豆になったという説。
ふたつめは、飛鳥時代です。現在の滋賀県東近江市で聖徳太子が、馬の餌にしていた煮豆をワラで包み、木にぶら下げていたところ納豆になっていたという伝説です。

3つめの説は、平安時代です。京都に住んでいた源義家が、反乱を鎮めるために奥州(現在の岩手県)に向かうことになりました。そこで義家は遠征準備のため、農民たちに大豆を納めるように命じました。農民たちは急なことだったため、煮豆を温かい状態のままワラで包んで渡しました。数日後、源義家が道中でワラを開けてみると糸を引いた納豆を発見したというものです。

いずれの説も、煮た大豆とワラを一緒にして放置しておいたことがきっかけとなっています。枯れたワラには、納豆菌が多く住んでいます。納豆菌は温かくて湿った場所で活発に活動するため、煮たばかりの温かい大豆をワラに包むと発酵が進み、納豆ができあがるのです。

豊臣秀吉と千利休は「納豆汁」を食べていた

室町時代〜江戸時代後期まで、納豆は味噌汁などの汁ものにして食べられていました。1590(天正18)年秋、千利休は7回もの茶会で豊臣秀吉や武将たちに納豆汁をふるまったという記録があります。

江戸時代はしばらく、叩いて平たくした納豆に豆腐や青菜を添えたものなどが食べられていましたが、江戸後期からは粒納豆が主流になります。醤油をかけて食べるという、現代と同じ食べ方が登場したのもこの頃です。

戦後、GHQの納豆普及計画が食糧難の日本を救った

終戦後の日本は食糧事情が悪化し、栄養失調で命を落とす人もいました。農林省は食料を復興する計画を立てましたが、GHQ(連合軍司令部)の公衆衛生福祉局栄養部長・ハウ大佐は、そのずさんさに落胆します。
ハウ大佐はみずから日本人の食文化を研究するなかで、納豆に出会いました。学者や業界から情報を収集し、「日本人に必要な栄養を、もっとも経済的に、効率よく手近に求めるには納豆が一番」と結論づけました。そして、納豆の原料である大豆500トンを米国から手配しました。

日本政府も食糧危機対策の一環として納豆を重視するようになった結果、納豆は近代的な発酵工業へと発展し、大量生産が可能になりました。1960年代以降に冷蔵庫の普及率が上がり家庭で納豆を保存できるようになったことや、1980年代後半に健康志向から納豆ブームが起こったことも、納豆の普及を後押ししました。

納豆の食べ方はバリエーションが豊富!

納豆は、だし醤油をかけるだけでなくさまざまなアレンジで食べられることが魅力です。ネギやちりめんじゃこ、卵、キムチなどの食材を加えるほか、チャーハン、うどん、パスタ、ピザと合わせる和・洋・中の料理や、油揚げに包んで焼くといったおかずもおなじみですね。7月10日「納豆の日」は、お好みの食べ方で、ぜひ納豆を美味しく楽しんでみてくださいね。